悪口についてのお釈迦様の教え

悪口についてのお釈迦様の教え
悪口についてのお釈迦様の教え

日本ではあまり宗教を信じている人は多くありません。

しかし、宗教を信じていないという人も、法事に参加したり初詣に行ったりするという不思議な国でもあります。

神道や仏教はキリスト教などと違って、日本人の生活に溶け込んでしまっているため、もはや宗教という感覚がないのかもしれません。

悪口に関しても仏教の始祖であるお釈迦様の言葉を取り入れたとしても、日本人になじむのではないでしょうか。

今回はお釈迦様が説く悪口を言われたときの取り扱いについて考えてみましょう。

 

お釈迦様は悪口を言われたときどうしたか

お釈迦様と悪口に関する逸話があるので、それをお話しします。

お釈迦様と悪口男

お釈迦様と悪口男
お釈迦様と悪口男

ある男はお釈迦様が大勢の人から慕われ、尊敬されていることに嫉妬していました。

そこで人がたくさんいる中で悪口を言ったら、きっと悪口を言い返すだろうからお釈迦様の評判も悪くなるだろうと考えました。

その男はいつもの散歩道で待ち伏せして大勢の人がいる前で、お釈迦様に対してひどい悪口をまくし立てたのです。

お釈迦様は何も言い返しませんでした。

悪口を言い疲れた男にお釈迦様はこう言います。

「他人に贈り物をしてそれを相手が受け取らなかった場合、その贈り物は一体誰のものになると思うか?」

「相手が受け取らなかったら贈った人のものになる」

男はそう言ったあと、お釈迦様は続けます。

「今、あなたは私のことをひどくののしったが、私はその悪口を少しも受け取らなかった。だからあなたが言ったことはすべてあなたが受け取ることになる」

つまり、悪口に対するお釈迦様の考えた対処法は、悪口を受け取らないことによってそれをすべて悪口を言った人に返すというものでした。

これは現在の言葉で言い換えれば、悪口をスルーするということになるでしょう。

お釈迦様の時代から悪口はまともに受け取らないと言うことが、悪口への最適な対処法だったことが分かります。

 

悪口に関するお釈迦様の教え

悪口に関するお釈迦様の教え
悪口に関するお釈迦様の教え

前述の逸話以外にもお釈迦様の教えとして悪口に関する逸話や教えがあります。

同じように悪口を言った若者に対してお釈迦様は次のような問いを投げかけます。

お釈迦様「おまえは親戚や家族を招待してもてなすことはあるか?」

若者「ある」

お釈迦様「招待客がおまえの出した食べ物を食べなかったら、その食べ物は誰のものだ?」

若者「残りは俺のものだ」

お釈迦様「同じように私の前で悪口を言っても、私がそれを受けとらなければそれはお前のものになる」

若者「なんだと?いくら受けとらないと言っても、与えたんだからお前のものだ」

お釈迦様「そんなものは与えたとは言わない」

若者「じゃあ、どんなことを受け取ったといい、どんなことを受け取らないと言うんだ?」

お釈迦様「悪口を言われたときに悪口を言い返したら与えたものを受け取ったという、反対に何とも思わないものは受け取っていないのだ」

この話も前述の逸話と同じ内容ですね。

 

釈迦の教えはそういうことではありません。

誰かが吐き出した悪い言葉が一体最後はどこに着地するのかというのを全体を総観して論じている話ではありません。

あくまで主体があなたであって、そこに悪を投げかけられた時の、心の持ちようの話です。

お釈迦様の言葉で「悪口は受け取らないと相手の元に戻る」という言葉が… – Yahoo!知恵袋

 

悪口はスルーするのが一番

悪口は感情的になって根も葉もないこと言ったり、人を貶めようとしたりすることです。こんな悪口は何も解決する必要がないので無視するのが一番なのです。

もし、こうした悪口を言う人に対して考えをあらためるように説得したり、注意したりするのは無駄な行為だと言えるでしょう。

なぜなら相手はこちらに対して悪感情を抱いているので、こちらが言えば言うほどむきになってさらに悪口を言ってくるからです。

つまり火に油を注ぐ形になるのでかえって事態を長い貸せてしまいます。これに対して悪口をスルーしていれば、効き目がないと判断して次第に悪口を言わなくなる可能性があります。

悪口を言われてもスルーしようなんて話を聞きますが、なぜですか… – 人力検索はてな

 

まとめ

宗教が原因で戦争が起こることもありますが、本質的に宗教はどうしたら安らかに生きていくことができるかということを教えるものです。

今回は仏教を例に出しましたが、キリスト教でも悪口を言わないことや悪口への対処法があります。

つまり、それだけ長い間人間は悪口を言い続け、その対処法も考え続けているとも言えますね。

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