世の中には「毒舌家」と呼ばれる人がいます。
単に悪口を言う人は嫌われますが、毒舌家と呼ばれる人はある程度社会的には認められているところがあります。
それはなぜなんでしょうか?
今回は悪口と毒舌の違いについて考えてみたいと思います。
毒舌とは
毒舌とは何かと言うことから考えてみましょう。
毒舌の意味
毒舌を辞書で引くと「しんらつで皮肉な悪口」と表現されています。
普通の悪口を違う点は「しんらつで皮肉」と言う部分になりますね。
さらに詳しく調べてみると、
- しんらつ:見方や表現が非常に厳しいこと
- 皮肉:弱点をつくなど骨身にこたえる事を、それとなしに言う、意地悪な言葉。
という意味になるので毒舌は「表現が厳しく、骨身にこたえることをそれとなく言う悪口」という解釈になります。
普段からこうした皮肉が効いた言葉を発する人のことを毒舌家と呼ぶことがあります。
芸能人では毒蝮三太夫や一昔前の有吉弘行などが毒舌家と言えるでしょう。
悪口は人を悪く言うことですから、毒舌も悪口の一つと考えて良さそうです。
具体的には毒舌と悪口にはどんな違いがあるのかを検証してみましょう。
世の中には毒を持っている動植物がたくさんいるが、ほとんどは毒々しい色をしています。
持っている毒で敵を殺すのが木手であればわざわざ毒を持っていることを知らせるような色はしていないはずです。
これらは警告色と呼ばれていて、わざと相手に毒持ちであることを知らせているのです。
— ムソムソ心理学@悪口は災いの元 (@yougaku80) August 29, 2021
つまり毒を持っている動植物のほとんどは、自分の身を守るために毒があると言うことになりますね。
よけいな争いを避けているのです。
悪口は毒舌といわれることもありますが、人を近づけないためのものだと考えることもできます。
わざわざ知らせてくれているのですから、近づく必要はありませんね
— ムソムソ心理学@悪口は災いの元 (@yougaku80) August 29, 2021
悪口と毒舌の違いとは
愛があるのが毒舌?
悪口は人をおとしめるために言う言葉で、毒舌は言葉は厳しいがその裏には愛情があると解釈している人もいるようです。
しかし、毒舌は「表現が厳しく、骨身にこたえることをそれとなく言う悪口」という意味なので、裏に愛情がなくても成り立ちます。
愛があるというのは毒舌を客観的に判断したものではなく、毒舌を言った本人が批判を受けないように愛情があるという言葉でごまかしているだけに過ぎません。
その証拠に特別親しい人でなくても毒舌を吐くことはよくあることです。
深い付き合いがない人にも愛情があるというのもおかしな話です。
同じ毒舌でも、聞いていて不快になる毒舌と痛快に感じる毒舌があります。
その違いは「共感を呼ぶかどうか」「人への愛情があるかどうか」です。
的確かつ愛情がある毒舌は「確かにその通り!」と共感を呼びます。#毒舌
— ムソムソ心理学【人間関係の悩み】やっかいな人はこれで解決! (@yakkainahito) August 18, 2021
笑いが起きるのが毒舌か?
毒蝮三太夫の毒舌は確かに笑いが起きますが、それは彼が芸能人だからと言う理由の方が大きいでしょう。
芸能人は言葉を笑いに変えるのが仕事なので、笑いが起きるのは当然のことです。
しかし、一般の人が日常会話で他人の悪口を言っているときにも笑いが起きることがあります。
つまり、笑いは毒舌だけでなく普通の悪口にもあることなので、笑いがあるかどうかは毒舌の要素にはなりません。
毒舌には悪口という意味もありますが、厳しく批評や皮肉を言うという意味もあります。
笑いを起こすという意味はありません。
もしあるとすれば、批評や皮肉などから転じて、それが遺恨を残さないほど痛快で笑いが起きるような意味に転じたと考えられます。
悪口は感情的で、毒舌は客観的
感情的か客観的かで判断してみると、悪口と毒舌の区別がしやすいかもしれません。
悪口は基本的に相手のことを嫌っているという感情によって生まれてくるものです。
つまり、相手が嫌いだから悪く言うというのが一般的な悪口です。
また、悪口は自分の嫉妬から引き起こされることがあります。
人は自分ができないことを簡単にやってしまう人に嫉妬心を覚えると、相手を自分よりも下だと思いたいがために悪口を言うことがあります。
この場合もやはり自分の感情が元で悪口を言うことになります。
一方で毒舌には皮肉という要素がありますが、この皮肉は理性的な部分から生み出されます。
なぜなら、皮肉を言うためには相手をよく観察して相手の特徴を捉えることが必要になるからです。
その上で相手の欠点を遠回しにからかう行為が皮肉なのです。
感情的になっていては相手の欠点を的確に把握できませんし、ストレートではなく遠回しな言い方をすることはできません。
そのため毒舌には感情的な部分よりも客観的な部分の方が大きくなければいけないということになります。
毒舌には批判が含まれる
批判は悪口と混同されることがありますが、明らかな違いがあります。
批判には客観性が必要です。
批判は相手を客観的に判断して良い点は認めつつも悪い点を指摘します。
そのため(悪口は本人に直接言わない陰口が多いのですが)批判はその目的から直接本人に言うという特徴があります。
毒舌も相手に直接言うから毒舌なのであって、陰で言っていては毒舌とは言えません。
また、皮肉は表現をひねった批判だと考えることができるので、毒舌も批判の一つと考えられます。
悪口は感情的に相手を悪く言うだけで、客観的な視点がなく批判を含む毒舌とは明確に違いがあると言えそうです。
毒舌家はポジティブに見られるのはなぜか?
毒舌家は皮肉屋ともいわれることもありますが、単なる悪口ではなく皮肉やユーモアのきいた、ウィットに富んだ言葉を残しています。
そのためストレートに悪口言われるよりも嫌われにくいということがあるのかもしれません。また、皮肉をうまく返すためには高度な知識やセンスが必要とされるので、言い返せないことも原因かもしれませんね。
言い返せない相手を感情的にののしってしまうと、言葉で反論できないから悪口でごまかしたと思われてしまうからです。そのため毒舌家は嫌われないという印象があるのかもしれません。
まさに嫌われ役を買って出てくれる人だからです。なかなか表立っては言えないことでも、本音では一理ある、と思うようなことを自分の代わりに言ってくれると、胸がすっとするからですね。
まとめ
悪口と毒舌の違いはおわかりいただけたでしょうか。
よく自分のことを「私は毒舌家だから」と言う人がいますが、自分で自分を毒舌家という人はたいていの場合、ただの悪口が好きな人です。
毒舌家を自称する人は、自分の発する言葉に皮肉や批判が込められているか、客観的に相手を見ているか確かめてみましょう。
案外、ただの悪口のことが多いかもしれませんよ。
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