人が悪口を言う理由はいろいろありますが、ある程度体系づけて分類することができるはずです。
なぜ悪口を言う必要があるのかを理解できれば、悪口を言わないように事前対策をすることができるかもしれません。
また、悪口を言われたときにも相手の心理が理解できて、それほど怒りを感じなくなるかもしれません。
今回は人はなぜ悪口を言うのかという根本的な問題を考えて見ましょう。
人が悪口を言う理由
人が悪口を言ってしまうのには、必然的な理由があるのでしょうか?
攻撃としての悪口
いわゆる先進国、法治国家に住んでいると暴力は絶対的なタブーとして子供の頃から教育されます。
社会生活、共同生活を営むためには絶対に必要な教育のひとつですね。
いつ暴力を振るわれるのかわからない状況では、安心して生活することができないからです。
そのため、人を傷つけることに関しては強い心理的な抑制がかかっています。
ところが、人間も動物なので本能というものは簡単に消したり、抑えたりすることができないのも事実です。
しかも、社会生活では人間関係は大きな意味を持つので、それだけ軋轢も多く暴力的な衝動に駆られてしまう場面はなくなりません。
原始時代のように人間以外の動物から身を守るための暴力はなくなりましたが、現代社会では人間関係から暴力に発展するケースの方が圧倒的に多くなっています。
つまり暴力の原因は完全になくなっていないのに、暴力が禁止されているという状況です。
しかも、暴力を振るえば確実に法律違反となり大きなペナルティが科せられるのです。
そこで、暴力を抑え込んで、人はおとなしくなるかというと、そうはいかないのが現実です。
つまり、直接的な暴力に比べて罪になる可能性が低い方法で人を攻撃することになります。
それは「口撃」と言い換えてもいいですが、いわゆる悪口、暴言、誹謗中傷などで攻撃するようになったのです。
悪口は物理的な攻撃を禁止された人間の、形を変えた精神的な攻撃手段なのです。
手で叩く、殴る、バットや棍棒で痛めつける、これが物理攻撃です。
言葉で悪口言ったりは精神的な攻撃。
欲求不満の解消方法としての悪口
同じ悪口でも陰口の場合は攻撃手段とは少し違う意味合いがあります。
陰口は何のために言うのかというと、欲求不満の解消手段として言うケースが多いのです。
攻撃手段として悪口を使える相手は、自分よりは下の関係になければいけません。
職場で言えば年下の後輩やアルバイト社員などになります。
そのため年上の上司には直接悪口を言うことはできないので、口撃ができないという欲求不満がたまってしまいます。
それを解消する手段として第三者に陰口を言って、同意や共感を得ることで欲求不満を晴らしているのです。
直接攻撃できないとき、人は物に当たったり関係ない人に八つ当たりしたりすることもできます。
しかし、それではカタルシス(浄化作用)を得られないのですっきりしません。
これに対して陰口を言うと言われた人の反応があり、
「私もそう思っていた」
「あの人ひどいよね」
といった同情や共感を得られると、理解してもらえた喜びと同時にカタルシスを得られます。
そのため、八つ当たりなどよりは、よっぽどすっきりした感覚を得られるのです。
※カタルシス
心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること
攻撃手段としての陰口
陰口の大半は単なる欲求不満を解消するためのものですが、攻撃の手段として陰口を使うこともあります。
たとえば、嫌いな上司がいる女性社員が陰口としてセクハラを受けたという噂を流したとします。
セクハラが事実かどうかは別にしても、そうした噂を流されることは男性社員、特に役職者にとっては致命的な結果になることもあります。
人事部の耳に入ったとしたら、出世に関わるような大きなマイナスになりかねません。
このように明確に相手を陥れようとする目的で陰口を使うことは立派な攻撃手段と言えるでしょう。
まとめ
悪口は一種の攻撃手段と言う意味合いが強いですが、直接攻撃をしなくても文明人であれば他に発散させる方法はいくらでもあります。
半沢直樹のようなドラマでは散々虐げられた後に大逆転をする等ストーリーになっています。
これは視聴者の感情移入させ、最後にカタルシスを与えてすっきりさせることで人気が高いのです。
このように人間は現実に攻撃しなくても十分に精神状態を保つことが可能です。
みなさんも自分なりの発散方法を持っていれば、悪口や陰口に頼らなくても言いようになりますよ。
◆参考文献
人はなぜ悪口を言うのか? | 斉藤 勇 |本 | 通販 | Amazon
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