「悪口を言うこともコミュニケーションのうち」と言い訳のように言う人もいます。
本当に悪口を言うこともコミュニケーションになるのでしょうか?
悪意にしろ善意にしろ自分の気持ちを相手に伝えるという意味では、悪口もコミュニケーションと言ってもいいような気がしますね。
今回は悪口がコミュニケーションとして成り立つのかを検証してみましょう。
コミュニケーションとは
そもそもコミュニケーションとは何なのかというところから考えてみましょう。
まずは辞書ではどのように定義されているのでしょうか。
コミュニケーションの意味
社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。
言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。
辞書ではコミュニケーションを上記のように定義しています。
ここで重要なことは「互いに伝達し合う」と言う部分です。
つまり、一方通行ではコミュニケーションではないと解釈することができます。
コミュニケーションは単なる情報の一方的な伝達ではなく
・意思の疎通
・気持ちの通い合い
・互いに理解し合うこと
が必要なのです。
言葉とコミュニケーション
コミュニケーションに必ずしも言葉は必要ありません。
身振り手振りでも意思の疎通があれば、それは立派なコミュニケーションと言えるでしょう。
その意味では動物でもコミュニケーションをしていると言うことができます。
しかし、それでも言葉を使った方が、はるかにコミュニケーションのレベルは高くなるのは事実です。
なぜかというと言葉を使うことにより、相手の気持ちや心情を共感することができるからです。
「暑い」「寒い」「痛い」といった言葉ひとつで、相手に対して自分がどのように感じているのかを伝えることができます。
言葉を使うことで自分の感情を伝えることができ、共感を得ることができます。
もし言葉を使わないとしたら、嫌な感情を抱いていることは伝わるかもしれませんが、その原因を伝えることは難しくなります。
言葉によって高度な意思の疎通ができるようになります。
しかし、言葉は使い方によっては相手の気持ちを傷つけることもできる諸刃のやいばでもあります。
悪口とコミュニケーション
言葉の定義のイメージからすると、お互いに意思の疎通をして理解し合うことがコミュニケーションで、悪口を言い合うのはコミュニケーションとは言わない気がします。
実際はどうなのでしょうか?
悪口はマイナスのコミュニケーション
物事には多面性があり、必ずしもプラスの面だけではありません。
コミュニケーションという言葉にも同じことが言えます。
お互いに意思の疎通をして理解し合い、感情を共有することで高めあうことがプラスのコミュニケーションとしましょう。
これに対してお互いに悪口を言い合って、負の感情を共有することはマイナスのコミュニケーションと言えるのではないでしょうか。
・意思の疎通
・気持ちの通い合い
・互いに理解し合うこと
悪口を言い合うことも上記のコミュニケーションの定義には当てはまるのです。
悪口によって自分の意思を相手に疎通させていますね。
お互いに嫌っている気持ちは通い合っているとも言えます。
そして、お互いに仲良くなれないと言うことを理解し合っているのです。
悪口は本来目指すべき理想的なコミュニケーションではありませんが、マイナスの意味でのコミュニケーションと言えるのではないでしょうか。
その人に誰も注意しないから、悪口がコミュニケーションになっていることに気づいてないんですよ。
注意されない人はかわいそうな人だなという目でみてやってください。
悪口の共感もコミュニケーション
あなたは友達と共通の友人の悪口を言って盛り上がったことはありませんか?。
お互いに悪口を言い合うのもコミュニケーションですが、同じ人の悪口を言い合うのもコミュニケーションと言えますね。
むしろ共感し合えることが多いので、互いの結束力や信頼が高まるという効果も期待できます。
悪口の対象となる人は気の毒ですが、悪口を共有することで仲良くなることもできるという良い例です。
趣味が同じ、好きなものが同じという理由で友達になることができますが、反対に嫌いなものが同じという理由でも友達になることができます。
誰にでもそんな経験があるのではないでしょうか。
まとめ
悪口もコミュニケーションのひとつと言うことがおわかりいただけたでしょうか。
ただし、あくまでもマイナスの意味でのコミュニケーションなので、悪口を推奨しているわけではありません。
共通の嫌いな人の悪口を言い合って仲良くなると言うのも、ほめられた方法ではありませんが、現実的にはよくあることですね。
行き過ぎないようにすれば、悪口を活用して絆を深めるというのもいいかもしれません。
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