基本的に悪口を言うような人は信用されませんが、同じ悪口を言う人でも人に信用される場合があります。
人はどんなときに悪口を言う人を信用してしまうのでしょうか。
今回は悪口を言う人を信用する心理について考えて見ましょう。
悪口は悪いことだという考えが根底にあるから信用される
悪口は悪いことだというのは日本の社会では常識として定着していますが、そのことが悪口を言う人を信用する根底にあります。
日本の職場では日中は悪口が抑制される
本人に面と向かって言う悪口は、特に職場ではほとんど見ることはありません。
給湯室などでの陰口はあるかもしれませんが、面と向かって悪口を言うことは日本ではほとんどないのです。
それは子供の頃から悪口は良くないことだとしつけられ、社会人になると悪口は自分に必ず跳ね返ってくるので、自分の身を守るためにも言わないようにするのが一般的だからです。
特に職場では公然と悪口を言ってしまうと、周囲からの信用を失うだけでなく、上司からの評価も下がり昇給や昇格にも影響があります。
そのため職場ではよほど立場の違いが大きくなければ、面と向かって悪口を言うことはありません。
上司が部下に向かって悪口を言ったり、叱責することはありますが、四六時中というわけでもなく、一般的には指導の範囲内で収まっています。
しかし、これらは職場のことなので主に昼間の話ということになります。
これが夜の飲み会となると話が違ってきます。
昼が建て前だとすると夜は本音の世界となります。
飲み会では悪口が飛びかうことが多い
日本のサラリーマンは昼間は言いたいことも言えずに我慢していることが多いせいか、飲み会になった途端、悪口や愚痴が飛び交うことが多くなります。
悪口と言ってもその場にいない人の陰口になりますが、参加者の根底には悪口はいけないことだという意識があります。
そのため悪いことをしているという共犯意識が芽生えます。
その結果、仲間意識が強まる効果が生まれます。
また、悪口を言うときは「本当は悪口は言ってはいけないですが、あなたを信用しているので言っているのですよ」という暗黙の了解が存在しています。
そのため、自分は信用されているという意識があるので、悪口の内容も信用されやすくなるのです。
それは、信用している人には嘘はつかないだろうという思いがあるからです。
変な話、悪口を言う事である種の連帯感や共感が生まれます。
悪口を言わない人とはそういう特殊な絆が生まれないので味気なく見えてしまうのでしょう。
また他人の悪口を言わない人に「あの人が嫌だ」とか言っても「へー」で終わってしまってモヤモヤするだけなので、
つまらないと思ってしまうのでしょう。
自己開示の深さが信頼を生む
心理学では自分の気持ちを他人に話すことを「自己開示」と呼んでいます。
この自己開示をすることで他人からの好感度が上がったり、信頼度が高くなったりすることが心理学の実験などで確かめられています。
そして自己開示には広さと深さがあり、広さは話題の広さを意味し、深さはプライベートな話題への深度を意味します。
たとえば、初対面の人と会話するときは広い話題で話しますが、いきなりプライベートの話はしないものです。
反対に長い付き合いがある親友と話すときは、プライベートな話題も話します。
そしてプライベートの話題でも、深い話題で自己開示をするほど、信頼感が強まりより深い関係となるのです。
他人の悪口を言うというのは、信頼している人にしか話せない深度の深い話題だと言うことができるので、悪口を言った人でも信用してしまうと言う理屈になります。
特に日本では建て前社会とも呼ばれているので、本音である悪口を聞かされることで信頼感が高まる面があるのです。
成功した話などポジティブな話題ではそれほど共感を得られずに、深い関係につながらないのは皮肉なことですね。
まとめ
悪口は言ってはいけないことだと強く意識している人ほど、その悪いことを自分には素直に話してくれていると感じてしまう気持ちはよく分かりますね。
反対に悪口を言わない人をつまらなく感じるのも、この裏返しの感情なのでしょう。
ただし、普段悪口を言わない人が悪口を話してくれるからこそ信頼できるのであって、いつも悪口ばかり言っている人は信用できないのは変わりませんね。
他人の悪口はほどほどにという点だけは守りましょう。
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